2014年6月20日金曜日

母の記憶

昨日は、純子先生のクラスがお休みでしたのでわたしは狭山の実家へ行きました。母も幡ヶ谷へ引っ越ししてから実家は放置した状態で今や本間家のトランクルームになりつつあります。母やわたしの必要なモノを持ち出し、風通しをして帰ってきました。この家をどうしていくのかそれも考えなければなりませんが・・・今は考えたくありません。母もまだ、ここの記憶が残っていますので。母に幡ヶ谷に帰ろう。といったら、そうね。帰りましょう。といってくれてホッとしました。今、母の記憶はきっと狭山や幡ヶ谷ではなくて、生まれ育った鹿児島の実家が強く、そしてわたしたちが生まれて小さかった頃のひばりケ丘の記憶が根強いようです。病気になってから特に鹿児島の実家は絵で見えるようにわたしに細かく話してくれます。かわいがってくれた両親、ペット。今、まさにまるで母は大事にされた亡くなった両親に守られているよう。母をみていると幼少のときの両親、そして家族に大切さがよくわかります。母を病院へ連れて行って、病院で認知症と診断されてからもうすぐ1年がたとうとしています。

実家周辺の空は広い。

実家すぐの小学校脇。あじさいロードになってます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントありがとうございました。